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イントロ
インターネットの登場以来,知識の入手は信じられないぐらい容易になった.しかし,そのような安易な知識の入手が知識の定着に結びついているかには疑問も投げかけられている.本レポートでは「知識習得におけるネットの影響」に対する代表的な意見を幾つか示し,新しい学習観を紹介する.
資料
「読む・書く・話すを一瞬でモノにする技術」
「読む・書く・話すを一瞬でモノにする技術」の著者の斎藤孝は「声に出して読みたい日本語」というベストセラーで知られる明治大学文学部教授である.彼は,NHKの幼児向け番組「にほんごであそぼ」の企画・監修にも参加し,日本語教育に対して影響力のある研究者である.彼は学習に対する多くの啓蒙書を執筆しているが,その一つが「読む・書く・話すを一瞬でものにする技術」である[1].
「Googleは人の記憶を操作」
「Googleは人の記憶を操作」は2011年7月15日のwired news の記事である[2].ここでは,『Science』に掲載されたエリザベス・スパロウらの「検索エンジンとネットのおかげで,ほとんどの事実は記憶する必要がなくなった.しかしこのことは同時に,われわれの記憶能力に影響を与えている可能性がある」ことを解明しようとする心理学実験を紹介している.その実験結果は,
新しく学んだ事実をコンピューターに記録した場合,その事実を思い出す確率が下がるという.つまり,オンラインでいつでも便利に入手できると思えば,それについて学んで記憶する意欲が下がる
と報告している.
SfardのAM/PM論文
1991年に Lave and Wenger によって新しい学習形態・概念が提案された[3].彼らは,アフリカの仕立て職人や助産婦の育成法を社会学的に詳しく調査した結果,徒弟制のなかに学びの本質があると指摘した.徒弟となる新人が,共同体の一員として見習い仕事を始める状況を「正統的周辺参加(legitimate peripheral participation) 」とあらわし,学習が社会活動のなかで実践されていくことを「状況に埋め込まれた学習(situated learning)」と表現した.数学教育者の Sfard は,古い学習観とこの新しい学習観の対比を acquisition(獲得) metaphorとparticipation(参加) metaphor(AM/PM)という単語によって適切に表現した[4].
議論
斎藤は,
情報を活用するとは,情報を,「読む・書く・話す」など必要なときにいつでもひきだせるように記憶しておくこと.必要なときに使える形で記憶しておくことをいう.[1, p.22]
として,情報活用と記憶の関係を定義した上で,「検索すればするほど,(中略)知的生産力は反比例して衰えてしまう[1, p.16]」ので,「暗黙知にくぐらせ,情報を自分化する[1, p.24]」ことの重要性を説いている.スパロウらの心理学実験も斎藤の「google検索」の弊害を支持する内容と受け取れる.
しかし,スパロウによれば,ネット上の知識は
いわゆる交換記憶(対人交流的記憶:Transactive Memory)のひとつの形態だという.交換記憶とは,集団として作業し,事実や知識を集団全体に伝えられた人たちに見られる記憶方法だ.交換記憶は,集団で物事を記憶するあり方で,それぞれのメンバーは「誰がその記憶を知っているか」を覚えている.
として記憶形態の違いを指摘した上で,「われわれは実生活で,ほかの人たちの記憶を利用しているが,この現象はそれに似ている.インターネットは,実際には,たくさんの他者へのインターフェースなのだ」と述べている[2].つまり,獲得すべき知識の定義自体が違う可能性を指摘している.
さらに,Sfardは,学習観を知識習得法から獲得型と参加型と区別して,それらを表1のようにまとめている[4].
caption:Sfardが指摘したAM/PM学習観の違い[4,Table Iを和訳].
項目 | acquisition(獲得) metaphor | participation(参加) metaphor |
学習目標 | 個々人を豊かにする | 共同体の構築 |
学習とは? | なにかを獲得する (acquisition) | 参加者 (participant) となる |
学習者 (student) | 受容者 (消費者),再構築者 | 周辺にいる参加者,徒弟 |
教授者 (teacher) | 供給者,まとめ役,媒介者 | 熟練した参加者, 実践や論考の修得者 |
知識,概念 | 資産,所有物,一般商品 (個人のあるいは公共の) | 実践,論考,活動の一側面 |
知るとは | 持つ,所有すること | 所属する,参加する,コミュニケートすること |
AMかPMかどちらの学習観が正しいということではなく,Sfardの論文題目が示す通り,「どちらか一つを選ぶことは危険」で,両方の学習戦略を必要に応じて取るべきと示唆している.
結論
斎藤が提示している知識獲得型の学習法が全てではない.記憶には幾つもの形態があり,それらがどのようにわれわれの脳に刻まれているかは未解明である.また,その記憶をどのように定着させるかや,どのような形態の記憶を定着させるべきかは多様化している.つまり,Googleことが悪く,くぐらせることが正しいわけではない.学習を進める学生さんたちには,一つの学習法,知識形態に固執することなく多様な学びと知識を追求してほしい.私も今いろいろ試みています.熟練した参加者としてではなく,再構築者として.
reference:参考文献
- 「読む・書く・話すを一瞬でモノにする技術」,斎藤孝,(大和書房,2009).
- 「Google」は人の記憶能力を低下させるか, WIRED NEWS,2011年7月15日, TEXT BY Brandon Keim,TRANSLATION BY ガリレオ -佐藤 卓/合原弘子.
- "状況に埋め込まれた学習,正統的周辺参加", シーン・レイフ,エティエンヌ・ウェンカー, 佐伯胖訳,福島正人解説 (産業図書, 1993).
- "On Two Metaphors for Learning and the Dangers of Choosing Just one", Anna Sfard, Educational Researcher, 27(1998), 413.
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References:[Documentations_RubyKansai17]